インタビュー

各地の寺社さまから寄せられる
喜びの声がわたしたちの誇りです

森 順照 師

「貸す私たちも、借りる人も、
お互いがうれしい仕組みですね」

「おじいちゃんもおとうさんも、ぼくもみんなここの幼稚園に通った」

剱正寺は檀家を持たないお寺ですが、昭和十八年に戦時保育園を開いて以来、七十年以上にわたって小さな子どもたちをお預かりして参りました。ですから「三代ずっと通っている」というお家も珍しくありません。私たちが一番大切にしているのは、素直な感謝の気持ちです。この世はたくさんの人の力でできていますから、手を合わせ「ありがとう」という素直な気持ちを、子どもたちの身体の中に、染みこんでいくように伝えたい。そう考えて日々お勤めをしています。

約250年の歴史を持つ剱正寺。戦時保育園からスタートした剱正幼稚園は、地域からの評判も高く、新入園児の枠は申込当日のうちにいっぱいになるほど。

幼稚園を守っていくためさまざまな経費の足しになってくれる地代収入

剱正寺は、地域の幸せのための寺です。私自身も戦争で両親をなくし、小学五年生からお寺の世話になってきました。一宮が焼け野原になった時代には、本堂を開放して謡曲や浪花節などで楽しみを提供したことも。いまもお母さん方の子育て支援や、交通安全教育を支援しています。やりたいことは多いのですが、それには確かな経営基盤が必要です。もちろん幼稚園は営利を目的としていませんから、通常の商業施設とは異なります。そんななか、確実に得られる地代収入は、大きな助けになってくれています。またお貸しした土地に家が建ち、人が住み、幸せな家庭づくりにもお役に立てるのが嬉しいですね。

「献花献灯」のお手伝いを通じ園児たちに感謝の心を教えています。

わたしも、あなたも「ありがとう」と言えるそんな人の輪をつくりたい

しかし古い土地というのはやっかいなもので、書類も何もない場合が多いのです。私の代で台帳を整備したいのですが、まだ半分も終わっていません。いまそんな貸地を、徐々に定期借地方式に切り替えている理由は、次の代へ確実に伝えていけるから。長期契約ですから更新等の手間もかかりません。いま私達の定期借地を利用して住んでいるご家族のなかにも、剱正幼稚園に通うお子さんがいるんですよ。これもご縁でしょうか。私どもも収入が得られますし、住まう方も無理なく一戸建てで暮らせる。お互いにうれしい仕組みです。そんな風に、お互い「ありがとう」と言い合えるような人の輪づくりをめざしています。

「互いに支え合い、感謝し合える関係をつくりたい」と話すご住職。

森 順照 師

「穏やかな心を保てることが
最高の価値ではないでしょうか」

「サザエさん」で勉強しました人間とはこういうものかと

土地があると、さまざまな方がやってきて、さまざまな儲け話を提案なさいます。とても上手に、心が動くようお話しなさいます。でもそんな時によく、新聞で読んだ漫画のことを思い出すんです。あるところに「たった800万円しか儲からなかった」と嘆く人がいます。「本当は2,000万円儲かるはずだったのに」と。その側を「パチンコで2,000円儲けた」と大喜びしている人が歩いて行く……なるほどなあと思いました。
金額の多い少ないとは関係なく、多すぎる情報が人を不幸にしてしまう。いまは、そんなことがよく起こる時代なんですね。

尾張徳川家ゆかりの東界寺。本尊の薬師如来は耳病を治してくださると言われ、年に一度の御開帳時は持病を持つ人がお参りする姿が見られます。

もっと活用すればもっと儲かる、もっともっと……でこころは休まらなくなる

定期借地方式は、50年100年の物差しをもって、無理のないやり方だと判断して選んだスタイルです。いま定期借地方式で貸している土地を、何か別の用途で活用すれば、もっと儲かるのかもしれません。でも私はその方法を知らない方がいいと思っています。それよりも精神的な安定の方が大切です。めまぐるしく変わる「より有利な方法」を知るためのエネルギーは莫大ですし、それで少しトクをしたとしても、トータルの採算は赤になるのではないでしょうか。定期借地方式は、50年100年の物差しをもって、無理のないやり方だと判断して選んだスタイルです。いま定期借地方式で貸している土地を、何か別の用途で活用すれば、もっと儲かるのかもしれません。でも私はその方法を知らない方がいいと思っています。それよりも精神的な安定の方が大切です。
めまぐるしく変わる「より有利な方法」を知るためのエネルギーは莫大ですし、それで少しトクをしたとしても、トータルの採算は赤になるのではないでしょうか。

以前は賃貸住宅も経営していましたが、亮宣師の代に、利益拡大よりも寺の整備を重視する方針へ切り替えたのだとか。

おりこうでもいいんだがおだやかに暮らせるなら馬鹿も悪くないと思います。

建物の需要は時代によって変化するけれど、土地は腐りません。管理もいりません。税金を払って赤字にならなければ、少しずつ蓄えも増えます。昭和六十一年に代を引き継ぎ、平成八年にいまの会館を建てるまで、急いで資金をつくるより、無理せず道理を通しながら待つ方を選びました。最初は大反対した総代さんも、「あなたの判断が正しかった」と言ってくださいました。私はもう代を譲った身ですが、土地に対する考え方は現住職も同じです。お寺は祈る方のための場所。心を支える場所。その価値を認めていただけるよう、現住職ともどもせいいっぱい努めていくのみです。

「本来のお勤めを一所懸命やることで、厳しい時代を乗り切っていきたい」と語る亮宣師。

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