穏やかな心を保てることが最高の価値ではないでしょうか

「サザエさん」で勉強しました人間とはこういうものかと

土地があると、さまざまな方がやってきて、さまざまな儲け話を提案なさいます。とても上手に、心が動くようお話しなさいます。でもそんな時によく、新聞で読んだ漫画のことを思い出すんです。あるところに「たった800万円しか儲からなかった」と嘆く人がいます。「本当は2,000万円儲かるはずだったのに」と。その側を「パチンコで2,000円儲けた」と大喜びしている人が歩いて行く……なるほどなあと思いました。
金額の多い少ないとは関係なく、多すぎる情報が人を不幸にしてしまう。いまは、そんなことがよく起こる時代なんですね。

もっと活用すればもっと儲かる、もっともっと……でこころは休まらなくなる

定期借地方式は、50年100年の物差しをもって、無理のないやり方だと判断して選んだスタイルです。いま定期借地方式で貸している土地を、何か別の用途で活用すれば、もっと儲かるのかもしれません。でも私はその方法を知らない方がいいと思っています。それよりも精神的な安定の方が大切です。めまぐるしく変わる「より有利な方法」を知るためのエネルギーは莫大ですし、それで少しトクをしたとしても、トータルの採算は赤になるのではないでしょうか。定期借地方式は、50年100年の物差しをもって、無理のないやり方だと判断して選んだスタイルです。いま定期借地方式で貸している土地を、何か別の用途で活用すれば、もっと儲かるのかもしれません。でも私はその方法を知らない方がいいと思っています。それよりも精神的な安定の方が大切です。
めまぐるしく変わる「より有利な方法」を知るためのエネルギーは莫大ですし、それで少しトクをしたとしても、トータルの採算は赤になるのではないでしょうか。

おりこうでもいいんだがおだやかに暮らせるなら馬鹿も悪くないと思います。

建物の需要は時代によって変化するけれど、土地は腐りません。管理もいりません。税金を払って赤字にならなければ、少しずつ蓄えも増えます。昭和六十一年に代を引き継ぎ、平成八年にいまの会館を建てるまで、急いで資金をつくるより、無理せず道理を通しながら待つ方を選びました。最初は大反対した総代さんも、「あなたの判断が正しかった」と言ってくださいました。私はもう代を譲った身ですが、土地に対する考え方は現住職も同じです。お寺は祈る方のための場所。心を支える場所。その価値を認めていただけるよう、現住職ともどもせいいっぱい努めていくのみです。